2009.10.05

ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年うちあけ話
図書館で借りてきた本.
私は大のドラえもんマニアであり,フリークと言ってもいい.就活の際も一番尊敬する人と聞かれてためらわずに藤子・F・不二雄先生と答えたくらいだ.そして,小さい頃から,ドラえもんと言えば大山のぶ代さんの声と決まっていた.しかし,素晴らしい声優さんたちも迫る年波には勝てず,ついに2005年4月に声優陣の一新が計られた.この本は,ドラえもん役の声優を降りた大山のぶ代さんが,その26年間を振り返ったエッセーである.
尊敬する藤子先生が亡くなられてから,ドラえもんの話が急につまらなくなったのは周知の事実だろう.映画には芸人が登場するようになり,人物の躍動感は失われ,ステレオタイプに嵌っていく.一方,声優交替後のアニメ,映画(いわゆるわさびドラ)は従来ファンにも意外と好評だという.
したがって,藤子先生以降の制作陣にあり,大山のぶ代さん以下,声優の方にも問題があったというのは事実だろう.だが,小さい頃からドラえもん=大山のぶ代であり続けた私にとって,大山のぶ代さんを断罪することはしたくなかった.
この本を読むと,なぜ,ドラえもんが色を失っていったのかがよくわかる.それは私にとって余りにも辛いことである.そして,読めば辛い思いをするだろうということは読む前から分かっていた.だから本書が出てからずっと気にしてはいた物の読まなかった.いや,読めなかった.
でも,そろそろ読まなきゃいけない.一ドラファンとして.
結局,問題はドラえもんという作品を制作陣が愛しすぎたために,私物化してしまったことにあるのだろう.ある時から製作陣は「私がドラえもんを愛すること」=「読者がドラえもんを愛すること」と勘違いしてしまった節がある.内輪ネタに走り,芸人を読んで出演させてはキャーキャー喜ぶ.自分が楽しければ,きっとみんなも楽しいんじゃない?
まるでマリーアントワネットの思想である.
ドラえもんは制作陣の私物ではない.絶対に違う.ドラえもんは藤子先生の物だ.もし,先生が亡くなられて,先生の手を離れたとするならば,それはファンみんなの物なのだ.なぜなら,著作物の世界には本質的に作り手(作者)と聞き手(読者)しかいないからだ.製作陣はあくまでも作り手と聞き手を繋ぐ媒介者にしか過ぎない.
だから,先生が亡くなったからには,先生の意思を粛々と受け継がなければならない.制作者個人個人の想いは分かる.それぞれドラえもんという作品を愛して愛して止まないのもわかる.でも,その想いは二の次三の次.あくまで先生が生きておられれば,どうしたか,どうすれば先生は草葉の陰で笑ってくださるか,その想いを第一に考えなければならない.それができないならば,制作を打ち切るしかない.媒介者の役目は作り手の心を伝えることであり,自らが何かを発信することではないのだから.
どうも,先生が亡くなられて以降の制作陣は,媒介者としての基本を忘れてしまったようだ.そして,自らが作り手であるかのような錯覚を憶え,分を超えたことをした.その瞬間,ドラえもんは藤子先生が生み出したドラえもんではなくなったのだ.
私の中で,ドラえもんは藤子先生が亡くなられた時点で終わっている.それ以降の作品は見る気がしないし,わさびドラは申し訳ないが,今更新しい声になじめないし,記憶の中の声と混ぜたくない.でも,ドラえもんという作品は私の中で確実に生きている.基礎的な科学知識,知的好奇心,友情,勇気,夢,私の根本は全てドラえもんにあると言っても過言ではない.だから,もう一度藤子先生と大山のぶ代さんにもう一度言おうと思う,ありがとうと.









2009.08.31

貧乏はお金持ち──「雇われない生き方」で格差社会を逆転する
「ゴミ投資家」シリーズで一躍有名になった橘玲氏による最新作です.
マイクロ法人を作って,節税をしようという内容で,それ自体は目新しいアイディアではありませんし,筆者がここ数年主張してきた内容とほとんど変わりません.
ただ,相変わらずよく調べられていて,また批評は鋭い.
エンロンの不正会計事件やジャンク債の帝王マイケル・ミルケンについてここまで簡潔にまとめあげた読み物を私は知らない.
また,一般マスコミなどでよく耳にする「株主資本主義が日本企業を歪めた」という意見を誰にでも納得いく方法でばっさり切り落とす.
バブル最盛期の89年に3万8915円の最高値をつけた日経平均株価は...(中略)...タイムスリップしたように四半世紀前まで戻ってしまった.
この経緯からわかるように,日本株に投資した株主はこの20年間,一貫して損をしてきた.もしもリストラが企業の利益に直結するのなら,血も涙もない人件費削減によって株価は上昇しなければならないが,現実にはそんなことには全然なっていない.
なぜこんな矛盾が起きるかというと,株主資本主義批判がアメリカ直輸入の理屈だからである....(中略)...
その当否はともかくとして,アメリカでは確かに長期的な株価の上昇が起き,株主は大きな利益を手にした.ところがその間,日本では株主はひたすら損をし続けてきた...(後略)...
これは大変面白い意見である.従来の株主資本主義批判に対する批判は若干センシティブな問題を孕んでいた.なぜなら,株主資本主義批判派は,アメリカや西欧を中心とした,資本主義という制度のあり方そのものに批判的な場合が多かった.そうした相手に対して,資本主義の枠組みの中で反論をしても,議論が噛み合ないということがしばしばあった.
一方は資本主義のフレームワークで物事を理解し(現代経済学ではこうこう言われており,最新の学説でもうんぬんかんぬん),議論しようとするが,もう一方はそのフレームワーク自体にいちゃもんをつける(そんな欧米の学者の言う説をまともに受けるなんて信じられなーい!あいつらはいっつも自分の有利なようにルールを作ってるんだよ!).これでは議論が成り立つはずもない.
しかし,この橘氏の批判はいわば,自身の立ち位置を超えた批判である.そこには前提とすべきフレームワークも思想もない.ただ明確なロジックがあるだけだ.
Aと仮定すればBという結果が導きだされるはず.しかるに現実はBとは異なる.故にAという仮説は棄却される.
彼が本書で書いている理屈はこれだけだ.これではマトモな脳みそを持った人なら文句のつけようがないであろう.(まさか論理学は西洋の学問だから...なんて言わないよね!).こうした議論運びは非常に見事だと思うし,橘氏の著作の魅力になっている.個人的には氏の投資理念(CAPM理論への妄信やサラリーマン債券論)には若干問題があると思うが,それを差し引いても綿密な調査に基づき,魑魅魍魎の金融の世界を初心者である我々に教えてくれる希有な作家であることは間違いない.次回作も期待してます.









2009.08.27

はじめての構造主義 (講談社現代新書)
どこかの書評ブログで古典的名作と知って買いました(その書評ブログは失念してしまいました...)
私のような哲学とは無縁な初心者にもとてもわかりやすく書いてあり,読みやすかったです.
数学,哲学,芸術はすべてつながっているということを実感できたのもこの本を読んでからです.
1500年くらいまえは
神の作った世界の
調和を知るための学問が
天文学 幾何学 数論 音楽 だったんだ
とは,のだめカンタービレで千秋が言ったセリフですし,プラトンが作り,アカデミーの語源にもなった古代最大の学殿アカデメイアでは哲学と同時に幾何学や天文学が必修でした.
しかし,現代においても実はこういった数学,哲学,芸術の関係性が途切れていないというのはある種の驚きでしたし,世界の深遠さを感じさせるのに十分でした.
また,本書で特に感動したのが近親相姦の禁止がなぜ人類共通なのかをレヴィ=ストロースが鮮やかに明らかにするところです.詳しくは本書に譲りますが,女性=疑似通貨という説は斬新であり,また通貨は自己消費されてはいけないという指摘は非常に意味深いものだと思います.










内側から見た富士通「成果主義」の崩壊 (ペーパーバックス)
Amazonから書籍の画像を引っ張ってくるAmazon Reloaded for WordPressが,AmazonAPIの更新に伴い使えなくなってしまいました.ので,とりあえず今回は画像抜きです.すみません. プラグインがアップデートされたみたいです(2009.10.5追記)
今回紹介する本は2004年に発行され,当時話題となった本です.私も当時,この本が話題になったのを覚えています.筆者の城さんが勤めていた富士通で導入された「成果主義」がいかにして会社を腐らせたか,その実態を赤裸々につづってあります.
ただし,当時この本を正確な意味で理解していた人はほとんどいなかったと思います.2000年代初頭から時多くの日本企業は年功序列型から成果主義型へとシステムを変えようと試みていました.ところがそれは思ったような成果を上げず,本書が描かれた2004年ごろまでには成果主義に対する期待感は失望へと変わり,その反動として「やはり日本には従来の日本型年功序列がよいのだ」という空気が蔓延していたように思われます.たとえば虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメ
などはその典型であり,懐古趣味の方には大変愛されているようです.(ですが,城さんが本書で看破したように年功制が組織の拡大を前提としたネズミ講の一種である以上,少子化が進むこの日本でどうやって年功制を続けるつもりなのか私には不思議でたまりません.)
本書も出版当時は,日本型経営への揺り戻しの流れの中で理解されてきたように見受けられます.
実際,私も5年前に本書を読んだときは「なんだ,結局懐古房か」程度の感想しか持ちえませんでした.しかし,改めて今読むと本書が書いていることは全く違うことであると気付かされました.
近年の派遣切り問題などでも明確になったように,日本企業の本質的な問題は年功序列型か成果主義型かといったシステムの対立ではなく,世代間対立にあります.もともと給与が低い人材を切ってもそこから回収できるコストはたかが知れてます.本来,コストを削減するならば,無駄飯食いの中高年から切るべきなのは明らかでしょう.結局のところ,派遣切りとはあくまでも,不況が招いた「結果」であり,本質ではありません.本質は既得権益を守りたい正社員(おもに中高年層)と社会的に弱い非正規労働者および新卒者(主に若年層)の対立にあるわけです.
本書は,その本質を今から5年も前に捉えています.大部分の人が「年功序列」と「成果主義」という二項対立でしか物事を見ていなかった時代に,まったく違う視点から日本企業の問題点を指摘したその慧眼ぶりには目を見張るものがあります.
なお,著者の城さんはその後コンサルタントとして活躍され,若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)
やたった1%の賃下げが99%を幸せにする
など,ますます鋭い筆さばきで日本社会の問題点を追窮しています.
私的に「即買い」の筆者の一人です.









2009.08.04

日本語の作文技術 (朝日文庫)
研究室の先生に勧められて買った本.どうやったらわかりやすい日本語の文章が書けるかということについて,詳しく論じられている.たとえば句読点の打ち方や,節の順序など,迷いやすいトピックについて,非常にわかりやすく書いてある.折に触れて読み返しているし,参考書的な使い方にもなる.
著者の本多勝一さんは,朝日新聞の新聞記者であり,ジャーナリストとしてはかなり問題が多い人であることは知られている.特に,中国の文化大革命に対する盲目的な礼賛や,正確性の乏しい証言のみを根拠としたいわゆる100人切り論争などには批判が多く,一部の右寄りの人からは悪の権化のように言われている.
彼のそうしたジャーナリストとしての姿勢には,私個人も疑問があると感じる.しかし,この著書は,それとは関係なく素晴らしい.ヘタクソな日本語を平気で書く現代の新聞記者には見られない,新聞記者としての意地というか美意識が感じられる.特に第三章「修飾の順序」は即役に立つし,初めて読んだときは目から鱗が落ちた思いがした.
詳しくは本に譲るとして,書中から一題問題を出そう.次の表現のうち適切なのはどれか.またその理由は?
- 初夏の雨がもえる若葉に潤いを与えた.
- 初夏の雨が潤いをもえる若葉に与えた.
- もえる若葉に初夏の雨が潤いを与えた.
- もえる若葉に潤いを初夏の雨が与えた.
- 潤いを初夏の雨がもえる若葉に与えた.
- 潤いをもえる若葉に初夏の雨が与えた.
感覚的に良さそうなのがこれというのは大体わかるだろう.正解は「1と3」が良い例で「5と6」が悪い.「2」も及第.
だが,なんで1と3が感覚的に良さそうなのか説明できるだろうか?わからない人はぜひ本書を読んでほしい.文章を書くことに苦手意識がある人は本書で苦手意識が克服できると思うし,文章を書くことが得意な人は,本書が,その技術の理論的裏付けとして役立つと思う.
また,随所に著者の言語(特に方言や少数民族の言語などののマイノリティ言語)に対する熱い思いが伝わってくるのも読んでいて面白いところ.著者が,一部の人たちが言うような,「反日的」で「金儲けの為に日本を貶めることのみを考えている」だけの人間では決してないということがわかるはずだ.









2009.08.02

旧約聖書を知っていますか (新潮文庫)

新約聖書を知っていますか (新潮文庫)
この本はスイス留学中に友人に貸してもらいました.あまりに衝撃を憶え,帰ったら速攻で揃えました.
ほとんどの日本人はキリスト教のことをあまり知りません.かくいう私もダビンチコードを読んで「へぇ〜マグダラのマリアさんってのがいたんだ」って知った程度です.
ですが,西洋の芸術に触れる際に避けては通れないのも事実.そこで,我々のようなキリスト教音痴に最低限必要なキリスト教の知識を教えてくれるのが本書です.しかも内容が面白い!
普通こういった教養本は西洋史やキリスト教を専門とする大学の先生が書いているので,正確性はともかくツマラナくなりがちです.けれども一流作家である阿刀田さんの手にかかれば教養本も娯楽本に大変身.まさに「面白くてためになる」本.学校でもこういう本で勉強できれば絶対勉強嫌いの子供なんてできないと思うんですけどねぇ...1回読めば難解な聖書の概要がつかめ,2回読めば主要なシーンは大体頭に入るようになります.
特に秀逸だと感じたのが「新約」の冒頭.新約聖書はその冒頭部でイエスの父ヨセフの血統を長々と書き連ねているのですが,阿刀田さんはこれに疑問を感じる.
マリアの処女受胎を信ずるとしても...いや,むしろそれを信ずればこそ,この冒頭の二つの記述は矛盾している.もし聖なる一族の血筋を重んじるということなら,マリアのその人がアブラハム以降の血を繋ぐものとして揚げてこそ納得のいくものとなるだろう.往時は男尊女卑の社会であったからという指摘は,この疑問に対して正確に応えるものではあるまい.(p14)
私は,キリスト教に疎いのでこの指摘が阿刀田さんオリジナルの物なのか,それとも聖書学ではよく取り上げられる疑問なのかは定かではありません.ただ,こういう「ツッコミ」を随所で入れながら,あくまで客観的に聖書の内容を紹介するという姿勢が好きです.こういう読み方は非キリスト教徒である日本人だからこそできる読み方であるとも言えます.
長期休み中にヨーロッパに旅行するという大学生も多いかと思いますが,私は「行くならこの本を絶対買って読め!時間がなかったら飛行機の中で読め!」と声を大にして言いたいです.旅行が100倍楽しくなること間違いなしです.









2009.08.01

プロ棋士の思考術 (PHP新書)
この本はプロの囲碁棋士である依田紀基さんが,自分の半生や持論をを赤裸々に綴った本です.
囲碁を知らない人のために付け加えておくと依田さんは間違いなく現代最強の棋士の一人であり,私が最も好きな碁打ちの一人でもあります.特に序盤戦がめっぽう強い.並の棋士なら(一流の棋士でさえも)気がついた時には既に争点がなくなって店仕舞いされている,という恐ろしい棋士です.
その依田さんが,自分の言葉で囲碁の上達法を書いていますが,非常に含蓄にとんだ内容であり,囲碁に限らず様々な分野に応用できると思います.
依田さんが重視しているのは次の「8つのK」だと言います.
- 感動
- 繰り返し
- 根本から考える
- 工夫を加える
- 感謝
- 健康
- 根気
- 虚仮の一念
心技体のうち,1〜4が「技」,5〜8が「心」と「体」に相当します.特に依田さんが重視していたのは「感動」と「虚仮の一念」の二つです.依田さん自身,過去の棋符を並べる怠らないがそれは決して憶えるためではなく何度も感動を味わうためだとしています.それを「根気」よく「繰り返す」ことによって自然と力が付くと強調しています.また,もう一つ面白いのが「虚仮の一念」という概念です.
虚仮の一念とは愚か者でも一心に一つのことをやれば,目的を達せられるというほどの意味である.
碁で言えば,どうしても勝たなければ成らない状況から生まれる一心不乱の心境である,勝つことへの執念に近いが,それだけではない.ハングリー精神も含む,もっと広い意味合いがある.(p23-24)
実際本中には,依田さんがどん底に落ち入り,そこから虚仮の一念で這い上がったストーリーが書かれています.決してヒロイックではない,依田さんの内面の弱さも描かれており,とても共感できます.
本書でもう一カ所感動した描写があります.それは,タイトル戦の最中,緊張のあまり夜寝られず夜明け前に散歩をしている場面です.空は白くなり夜明け直前.ふと依田さんは「太陽はどこにあるのだろう」と思います.しかしどれだけ探しても太陽は見つからない.夜明け前だから当然ですね.そのことに依田さんは感動を憶えます.
「これはすごいことではないか」
太陽は,どこか近いところにいる.その存在は確かなのだ.陽光は差さないものの,これほどまでに,空を,庭の木々を明るくしているのだから.
どこにも姿形が見えないにもかかわらず,その存在が,すぐ近くにあるとわかる.これはすごいことだ,と改めて感じた.
オレもこういう存在にならなくてはだめだ.庭にたたずみ空を見上げながらつくづく思い知ったのは,そういうことだった.太陽のような存在感のある人間にならなければ,と.(p178)
なるほどなー.確かに太陽みたいに存在感のある人っていますよね.飲み会とか,雑談してても,その場にいないのに話題の中心になる人.私もそんな人間になりたいです.
ちなみに,依田さん,この時の感動が元でご長男に「太陽」と名付けられております.
スポーツや囲碁将棋などのトッププレーヤーの言動からビジネスに応用できるヒントを探そうといろんな新書が出ている昨今ですが,そのほとんどは対談を元にライターが書いたものであり,その結果内容は非常に短絡的で陳腐なものが多いです.そんな中,本書は依田さん自身の言葉が伝わってきて大変迫力のある内容でした.
トッププレーヤーの思考から何かを学びたいという人は,囲碁をやらない人でも絶対に学べる本だと思います.








